rompercicci::diary

東京中野にあるコーヒーお酒ジャズのお店ロンパーチッチ

★誕生日と命日をメモする話

こんにちは。中野の自称ジャズ喫茶ロンパーチッチです。
いつもありがとうございます。
昨日に引き続き、本日も16時現在、キンキンに冷え込んでおります(営業が)。
ぽつねん状態のみっともない顔を道行く人に晒しているだけなのも悔しいので、せめてこの時間で何か書きたいと思います。

お店を始めてからドロナワ的に、ジャズミュージシャンの生年月日や命日をメモするようになりました。
大物ミュージシャンの命日にあたる日に、その人のレコードが聴けることを期待してご来店下さるお客様がいらっしゃるかもしれない。そういったお客様を自分の無知のせいで失望させたくない。ひとつにはそんな先回りした恐怖感があり、もうひとつはずっと打算的で「何かイベントがあった日なら、その日にかけるレコードについて考えなくて済む」という怠惰まる出しの安直な考えもあります。そんな思いがないまぜとなって、メモをつける行為へとつながっていきます。

どうやってメモをとるか。ミュージシャンの名前ひとつひとつをWikipediaで検索して、結果を丹念に記録していく、というのが正しいやり方なのでしょうが、なにぶん面倒くさがりで、何につけても即効性を求めがちなものですから、自然と「今日は誰の誕生日? 誰の命日?」といった手近なところだけを押さえたくなり、メモをとるのはその日に当てはまった人のみ、でもその作業を365日続ければ記録は完成するでしょ? といったお手軽な方法に頼るようになりました。

その「今日は誰の誕生日? 誰の命日?」については、Jazz_reviewさんのつぶやきやタワーレコードJAZZさんのつぶやきに頼ります。とても参考になります。
できれば元ネタのリストそのものがほしいところですが、そんなことでは自分の人間的成長が見込めないので(すでに見込めないですが)、がんばって毎日チェックするよう心がけています。
でも、やはり人間というか、やはり自分というか、往々にしてチェックを忘れます。1週間くらいほったらかして、後から過去日のつぶやきを追いかけてメモ、ということもよくやります。人間的成長の必要性を痛感します。

昨日(10月16日)はアート・ブレイキーの命日でした。
気づいたときにはもう夜でした。
『アフリカンビート』と『チュニジアの夜』をかけたら閉店時間近くになっていて、最後のお客様もお帰りになってしまいました。取っておいた『モーニン』をかける機会はありませんでした。

本日(10月17日)はバーニー・ケッセルの誕生日でした。
これは事前にチェックしていたので、開店後の数枚は彼のリーダー作や参加作を連続してかけました。
でもあんまりパッとしません。やっぱり誕生日じゃ自分の気持ちが今ひとつ盛り上がらない気がします。

漠然と考えるに、ジャズは命日中心主義であるようです。
なぜなのでしょうか?
(自分勝手な命題を立てておいて「なぜでしょうか?」も何もあったもんじゃありませんが)
「歴史がありジャンルとして成熟している」からでしょうか。
「終わってるジャンル」だからでしょうか。
よく分かりません。

ミュージシャンの命日がもてはやされるという慣行も、コルトレーン神話とつながるジャズ喫茶文化なのかな、なんて考えも頭をよぎります。
ジャズジャイアンツは命日が決まって(普通に言えば「死んで」)はじめて1人前の巨人として崇められる権利を持つのかもしれません。
人間は死んでからが人間で、死ぬまでは何か人間になる途中の得体のしれないものだなあ、と確か「無常といふ事」に書いてあったことを思い出しました。高校の教科書で読みました。


…本日はまた壮絶に締まってませんが、またしても文字数ばかりが増えてきてしまったのでこのへんで終わりにしたいと思います。
皆様のご来店を心よりお待ちしております。


※『レコスケくん手帳』には、主要ミュージシャンの誕生日は掲載されているものの、命日については記述がないようです。ジャズ的には甘いかもしれません。

※※こんなことを書いているうちに、数名のお客様がご来店下さいました。雨の中ありがとうございます。おかげで今日はなんとか生きていけそうです(昨日は死にましたが)。

※※※先ほどまで、10月17日が誕生日のミュージシャンを「バーニー・ケッセル」ではなく「ケニー・バレル」と書いていました。微妙に似通ったふたりの名前を混同してしまいました。本文はしれっと訂正して更新しましたが、更新前の投稿をお読みになった方への言いわけとして、ここに記す次第です。ゴメンナサイ。