rompercicci::diary

東京中野にあるコーヒーお酒ジャズのお店ロンパーチッチ

★お知らせと近況

こんにちは。ロンパーチッチです。
ご来店ありがとうございます。
本日は定休日となっております。

寒い日が続く中、ポツポツと暖かさが感じられる日が混ざってきました。少しずつですが、春の訪れを感じますね。お店の方は相変わらずの厳冬ですが。

お知らせと、近況報告させて頂きます。


【お知らせ】 Wi-Fiが使えるようになりました

お店の無線LAN環境を、お客様にもお使い頂けるようにしました。IDやパスワードは、ご来店時にお渡しするメニューの裏側に書いてあります。ぜひご利用下さい。
カウンター席にはコンセントも付いています。お持ち込みのパソコンの給電もOKです。椅子の座り心地はお世辞にもよいとは言えませんが、がんばって長居して下さい。

それから、これは特にアナウンスしていませんでしたが、各種携帯電話の充電もできます(たぶん…)。近所のダイソーで売っているアダプタをひととおり買ってきたので、なんとかなるんじゃないかな、と。電池の残量ピンチの際には店員までお気軽にお声おかけ下さい(もしダメだったらゴメンナサイ)。

もうひとつ。ソフトバンクの携帯電話(スマートフォン)をお使いのお客様でしたら、特になんの設定もしなくても、最初からWi-Fi環境に接続できているはずです。なぜか当店、最初からソフトバンク(それからFON)の電波が届いております。理由は分かりません(ご近所が導入されたものが紛れ込んでるんだと思いますが)。セキュリティ面はそっちの方が強いと思いますので、「犬の顔が出てくる」お客様は、特に設定せず、そのままの状態でお使い下さい。


【近況報告】 ルディ・ヴァン・ゲルダーのインタビュー

いちおうジャズのお店ですので、それっぽい話題を。

2週間ほど前に行われた今年のグラミー賞で、故スティーヴ・ジョブズと並んで生涯功労賞の栄誉に浴したルディ・ヴァン・ゲルダーのインタビューが、世界でいちばん気合の入ったジャズブログ JazzWax.com (http://www.jazzwax.com/) に連載されています。
Google翻訳のチカラを借りれば、私のつたない英語力でもなんとか読めそうな感じでしたので、ここは一発日本語訳を載せちゃるか(そしてドヤ顔したるか)、と思っていたのですが、なんとすでに先達がいました。

akashic ensemble さまのウェブマガジン The Ensemble Magazine (http://ameblo.jp/aztribe/) の中に、インタビューの翻訳記事が掲載されています。
すばらしい! 一部抄訳となっている部分などありますが、私なんかが和訳するよりよっぽどよいです。以下、全霊のリスペクトを込めて無断リンクさせて頂きます!

【Interview】Rudy Van Gelder(by JazzWax)Part.1
http://ameblo.jp/aztribe/entry-11165913465.html

【Interview】Rudy Van Gelder(by JazzWax)Part.2
http://ameblo.jp/aztribe/entry-11167019476.html

【Interview】Rudy Van Gelder(by JazzWax)Part.3
http://ameblo.jp/aztribe/entry-11167899904.html

【Interview】Rudy Van Gelder(by JazzWax)Part.4
http://ameblo.jp/aztribe/entry-11169705006.html

【Interview】Rudy Van Gelder(by JazzWax)Part.5
http://ameblo.jp/aztribe/entry-11176484318.html

ちなみに原文記事はコチラです。

Interview: Rudy Van Gelder (Part 1)
http://www.jazzwax.com/2012/02/interview-rudy-van-gelder-part-1.html

Interview: Rudy Van Gelder (Part 2)
http://www.jazzwax.com/2012/02/interview-rudy-van-gelder-part-2.html

Interview: Rudy Van Gelder (Part 3)
http://www.jazzwax.com/2012/02/interview-rudy-van-gelder-part-3.html

Interview: Rudy Van Gelder (Part 4)
http://www.jazzwax.com/2012/02/interview-rudy-van-gelder-part-4.html

Interview: Rudy Van Gelder (Part 5)
http://www.jazzwax.com/2012/02/interview-rudy-van-gelder-part-5.html

原文記事には興味深い写真もたくさん載っています。ぜひ翻訳と合わせてご覧になって下さい。そしてこのブログの執筆者であるマーク・マイヤーズさんの気合に戦慄して下さい!


…で、これだけですとあまりに他人のフンドシで相撲をとってる状態なので、及ばずながら私も翻訳してみました。上記のインタビュー結果をまとめたウォールストリートジャーナルの記事です。

原文記事はコチラです。

Rudy Van Gelder | New Jersey Jazz Revolution | Cultural Conversation by Marc Myers - WSJ.com
http://online.wsj.com/article/SB10001424052970203806504577180932802903306.html?KEYWORDS=rudy+van+gelder

以下に翻訳を載せます。
素人の仕事ですので、誤訳・認識ミスなどはご容赦下さい(ご指摘頂ければ修正します)。

■■ 翻訳 ここから ■■

ニュージャージーのジャズ革命

ルディ・ヴァン・ゲルダーは私たち客人にケーブルでつまずかないようにと注意する。太いケーブルが蛇のように床を這っている。彼の名高い録音スタジオの隅、マイクロフォンが森をなしている中を歩いているときのことだ。「これだよ」ハモンドオルガンの灰色のプラスチックカバーをぐいと引っ張りながら、彼は言った。「ワタシが録音したオルガン弾きのほとんど全員がコイツを使ったよ。ジミー・スミスレイ・チャールズ、ジャック・マクダフ、チャールズ・アーランド、それに他の人たちもね。コイツを見るとみんな決まってビックリするんだ。コイツはC-3モデルなんだよ。B-3じゃない」

ミスター・ヴァン・ゲルダーは今でも細部にこだわる人だ。この87歳のエンジニアは、1952年の昔から何千枚ものジャズアルバムを録音してきた。最初はニュージャージー州ハッケンサックにある彼の両親の自宅で、それ以降はこの場所で。彼の長い録音リストには以下のようなものが含まれている。マイルス・デイヴィスの『ワーキン』、ソニー・ロリンズの『サキソフォン・コロッサス』、アート・ブレイキーの『モーニン』、ジョン・コルトレーンの『至上の愛』、ウェイン・ショーターの『スピーク・ノー・イヴィル』、それにフレディ・ハバードの『レッド・クレイ』。

この土曜日に、レコーディング芸術科学アカデミーは、ミスター・ヴァン・ゲルダーにトラスティーズ賞の栄誉を贈ることになっている。ジャズレコーディングの世界での生涯にわたる貢献が認められて、グラミー賞が贈られるのだ。エンジニアとして、ミスター・ヴァン・ゲルダーはLP時代のサウンドに革命を起こした人物として認識されている。それぞれの楽器から出る音の質感をハッキリと捉えて、そしてジャズアルバムに暖かい、自然な音色を与えた人物として。

外から見ると、ミスター・ヴァン・ゲルダーのスタジオの建物はどこにでもあるチョコレートブラウン色の郊外型住宅のように見える(窓が一切ない点を除いては)。中に入ると、積層ダグラスモミのアーチと杉の板でできた天井が際立った、バタースコッチ色のカテドラルみたいな空間が広がる。この天井のせいで、スタジオはスカンジナビア調の雰囲気を帯びている。指をパチンと鳴らすか、または声を出すかしてみると、その音がちょっとの間空中に漂っているように感じられる。天井の木が音を捕まえて、手放す前にその音質を吟味しているような。

ミスター・ヴァン・ゲルダーは自身のレコーディングテクニックに関する秘密主義で悪名高い男である。「でもこのことは教えてあげるよ」スタジオの細長いコントロールルームに座って彼は言った。「ワタシは他の誰より先にノイマンコンデンサーマイクを使ったんだよ。最初にできたうちの1本をここで買ったんだ。あのマイクはすごく繊細で、暖かい音がするんだよ」

質問内容が、マイクを楽器のすぐ近くに置く彼の独創的なセッティング手法(マイクを発泡フォームに包んでピアノのトーンホールに貼り付ける、なんてやり方まであるとか)に及ぶと、ミスター・ヴァン・ゲルダーは彼の内なるスフィンクスにチャンネルを合わせてしまったようだ。「言えることは、シンプルなものなんてないってことだけ。どんなことだって複雑だよ」

ミスター・ヴァン・ゲルダーはニュージャージー州ジャージーシティの生まれ。家族のラジオでジャズを聴き始めた。12歳で自宅録音用の機械を通信販売で購入。届いたものは、ターンテーブルと録音用ブランクディスクがセットになっているものだった。「高校のマーチングバンドでトランペットを吹いてみたんだけどね、すぐにフットボールの試合でチケットもぎりする係に降ろされちゃった」彼は言った。

ハイスクールを卒業後、ミスター・ヴァン・ゲルダーはフィラデルフィアにあるペンシルバニア検眼大学に入学した。「メンタル面を鍛えたかったのと、卒業後の安定した収入の見通しがほしくてね」その時代に、彼はラジオ局を訪れた。「強烈な感覚ですっかりやられたね。音楽だの、そこにある機材のデザインだの、その場の緊張感だの。こういうタイプの環境で仕事をしたいって思ったよ」

1943年の卒業後すぐに、ミスター・ヴァン・ゲルダーはニュージャージー州ティーネックに検眼所を開業した。昼間は眼鏡の仕事をして、夜は売り込み用の78回転レコードを作りたい地元ミュージシャンの録音をした。「ワタシはマイクフェチでね」ミスター・ヴァン・ゲルダーは言った。「ジャズミュージシャンがレコーディングしてたり、ライブをやってたりする写真を見ると、いつもそこに写ってるマイクを見ている自分に気づくんだ。ミュージシャンじゃなしにね」

1946年に、彼の父親はニュージャージー州ハッケンサックに家を建てることに決めた。ミスター・ヴァン・ゲルダーは、リビングルームの隣に二重窓のついたコントロールルームを作ってもらうようお願いした。そうすればスタジオとして使えると。父親は同意した。「建築家はリビングルームの屋根を家の他の部分よりも高くしたんだ。それでレコーディングにピッタリの音響が生まれたわけ」彼は言った。

彼の初期の顧客には、歌手でアコーディオン奏者のジョー・ムーニーや、ピアニストのビリー・テイラーがいた。その後1952年に、地元プロデューサーのガス・スタシラスがバリトンサックス奏者のギル・メレを連れて、ミスター・ヴァン・ゲルダーのスタジオに録音にやってきた。メレは後に、ニューヨークのブルーノートレコードのアルフレッド・ライオンにそのときの録音を聴かせた。「アルフレッドはもっと曲数がほしいと思って、WORスタジオで彼の担当だったエンジニアのところへ行って、同じようなサウンドをマネできないかって訊いたんだ」ミスター・ヴァン・ゲルダーは言った。「そいつは自分じゃやり方が分からない、だから元々の録音をしたやつのところに行きなってアルフレッドに言ったんだ。で、彼がやってきたってわけ」

まもなく、プレステッジ、サヴォイ、ヴォックスやその他のレーベルが、LPのためにスタジオの時間借りを始めた。「全部のオファーを受け入れるために、毎週のそれぞれ違う曜日を違うレーベルに割り当てる契約にしたんだ」彼は言った。「でも、検眼技師としての仕事も続けていたんだよ。新しいレコーディング機材のために稼いだ一切合財を全部突っ込んでね」

ミスター・ヴァン・ゲルダーは、実務の中で彼の技術を学んでいった。「アルフレッドはブルーノートレコードがどんな音で鳴ってほしいかってことには厳格だった。でもプレステッジのボブ・ワインストックはもっとイージーな性格だったから、実験的なことは彼の録音のときやったよ。ブルーノートの録音で学んだことを使ってね」

自宅の駐車スペースが満杯になる日々の中で、ミスター・ヴァン・ゲルダーの両親は自分たちのベッドルームに通じる別の玄関を増築した。ミュージシャンたちと鉢合わせしないようにするためだ。「両親やご近所が文句を言ってきたことはないよ」彼は言った。「1回だけ、ウチの母親がもっと整頓してくれってメモを残してったことはあるけどね」

1954年に、ミスター・ヴァン・ゲルダーと彼の妻エルヴァは、スタジオ近くのアパートに引越した。ニューヨークの美術館で行われたユーソニアン建築の展示は、夫妻にあるアイデアを与えた。「思いついたイメージは、小さなコンサートホールだったね」ミスター・ヴァン・ゲルダーは言った。それから、ユーソニアン建築家にしてフランク・ロイド・ライトの生徒であったデヴィッド・ヘンケンとの打ち合わせがあった。ヘンケンはミスター・ヴァン・ゲルダーに設計図を描き、ヘンケンの施工業者のひとつであるアーマンド・ジリオ社が、イングルウッド・クリフの樹木茂る中にスタジオを建設した。

「アーチだの天井の木だのをセットするために、クレーン車で吊るさなきゃいけなかった」ミスター・ヴァン・ゲルダーはスタジオの天井を指差しながら言った。「てっぺんでボルト留めして、床には鋼鉄のケーブルでくっつけてるんだ。このデザインだと柱に邪魔されずに広い空間が確保できる。空間はスタジオには必須だからね」

1960年代から70年代にかけて、インパルス、ヴァーヴ、A&MCTIやその他のレーベルがヴァン・ゲルダー・スタジオを利用した。「『至上の愛』はまさにここで録音されたんだよ」ミスター・ヴァン・ゲルダーは言った。「あのセッションは催眠術みたいで、エキサイティングで、独特だった。でもそのことに気づいたのは、何年も後になって、そのときのテーブをリマスターしたときが最初だよ。コルトレーンがここにいたとき、ワタシは音楽を捕まえることでいっぱいいっぱいだったからね」

別れる前に、筆者は今一度ミスター・ヴァン・ゲルダーの秘密主義の扉をこじ開けようと試みた。「ワタシに言えることはこれだけ。ミュージシャンがやろうとしていることをワタシがちゃんと汲み取ることができたときに、サウンドは、なんていうか、花開くんだよ。ちゃんとできたときは、すべてが美しくなる。ワタシはいつもそのポイントを探し求めてるんだ」

■■ 翻訳 ここまで ■■

長文お付き合い頂きありがとうございました。


ええと、他にも何か書くべきことがあったかもしれないけど、忘れました。
本日も唐突に、皆様のご来店をお待ちして投稿を締めさせて頂きます。


あっ、3月分の営業カレンダーをまだ更新してません。おそらく、ずっと通常営業だと思いますが、更新したら再度アナウンスします。
よろしくお願いします。