rompercicci::diary

東京中野にあるコーヒーお酒ジャズのお店ロンパーチッチ

★つまり君はそういうやつだったんだな

こんにちは。中野の自称ジャズ喫茶ロンパーチッチです。
雨続きの予報を控えた最後の晴れ間の1日、貴重なお時間を当店でおすごし下さったお客さまに感謝致します。ありがとうございます。
ご来店下さったみなさまによいことがありますように。
Waterfrontの折りたたみ傘とSUSU傘ケースの組み合わせで鉄板の通勤コーディネートをキメられますように。

この前の定休日にふと手にした『東電OL殺人事件』を読んでいます。とても引き込まれる内容で、ぽつねん状態の店内で読んでいるとうっかり自分が(曲がりなりにも)仕事中なのを忘れてしまいます。そして、お客さまがいらしたときに必要以上にビックリしてしまいます。よくない本です。
この本、話の中で大量のシンクロニシティが発生するのがすごいです。作者が取材でどこかに行くと、必ず何か事件と深いところでつながっている(と作者には感じられる)「偶然の一致にしてはできすぎた」事象が発見されて、そこに作者は「被害者の届かぬ声」を聞いたりします。週刊誌連載か何かで、毎週そういうオチにして次号につなげていたのかもしれませんが、もう至るところシンクロしまくりでおなかいっぱいになります。牽強付会ってこういうことをいうのか。
で、疑問に思うのです。こういう書き方をすると話が扇情的に傾くから、作者の佐野眞一さんは一種の読者サービスとしてこのスタイルを採っているのか? それとも、彼は事件に関連するさまざまな事象を追い求めるあまり、本当にそういったつながりが「見えて」しまっているのだろうか?

【以下、ぼんやりしたことを書きます】
何かを強く探し求める者は、えてして必要以上に見つけてしまうのではないか。それは怖いことだと思います。
探しものはちょうどいい量だけみつかればよくて、それ以上に見つけてしまうと、何か自分が特別な存在だとかんちがいしてしまう危険性があります(いや、かんちがいなんかじゃなくて、その人が本当に特別な存在なのかもしれませんけど)。
だから、普段から何も探さないのがいいよね、という無気力のススメみたいなことを書こうと思ったのですがそれもあんまりなので、「見つけた!」と思っても少し時間を置いて、冷静になってからもう1回洗い直しをするといいよね、みたいなことを思いました。

明日から雨。『東電OL』片手にみなさまのご来店をひたすらお待ちしております。
万が一読み終わっても、店には『タンタン』があるから無敵です!
いや、そういう話じゃなくて。